ウィンザーに蛍が飛び交う季節

カナダにやって来てから住んだ幾つかの町では、見かける動物も、植物も、昆虫もそれぞれに違って来たように、ここウィンザーでもまた新たに「蛍」という発見があった。

これまでに住んだどのカナダの町よりも早く、「もうやって来てしまった」と感じさせられたここウィンザーでの夏。最高気温が40度にも達しようかというここ数日の日本には及ばずとも、毎日のように30度を超えて来られるとなかなかにツラいものがある。

そんな中にあってもどことなく清涼感を与えてくれるのが、何故か水辺でも何でもない、ただの住宅街を飛び交う蛍の姿。

私の勘違いなのか、昔から蛍とワサビは澄んだ水とセットで存在するものと思い込んでいたものだから、初めはまさかそれが蛍だとは思わなかった程だ。ここで見る蛍の点す光は日本で見るのと比べて幾分明るいようにも見えるのだけれど、それが流れるように消え去る時の切なさみたいなものはやはり同じで、紛れもなく蛍以外の何者でもない。

カナダに住んでみると、日本が如何に様々な季節感に恵まれた国であるのかを改めて感じさせられるのだが、この点であまり恵まれていない土地に暮らすからこそ、却って大切にしたいと有り難く思える味覚や景色に出会うことがある。ただ、私にとって残念なのは、そういったものに慣れ親しんだと言える程までには、一つの町で長く生活を続けて来られなかったことだ。

海外に移住すれば、どこに住もうとも試行錯誤の繰り返しになるのが避けられないのは一緒でも、ここカナダに於いては、トロントやバンクーバーにでも住まない限り、一度の試行錯誤が長距離移動を伴う結果を導きやすい。

日本の27倍もの国土面積の広さを誇る国だけあって、カナダでの長距離はその文字から想像する以上に長距離。その分気候にも大きな差があるから、新たな土地で見かける動物も植物も、それまでに見て来たものとはかなり違って来る。動物ひとつをとっても、エドモントンでならウサギの毛色の変化に季節の移ろいを感じ、ウィンザーは蛍(蛍を動物と呼ぶのが正しいかどうかは別にして)という新たな枕詞を私の生活に提示してくれている。

ウサギの毛色でも、蛍の光でも、その土地ならではの景色で季節をもっと感じたり、語ったりできるようになれたらいいなとは思う。そう思うのと同時に、悲しい哉、今後ウィンザーで長く住み続けることは無いのだろうとも想像はついてしまう。望むか、望まないかではなく、これまで海外に27年も暮らしていながら、最も長く生活した町でせいぜい10年程度に過ぎないのだから、そんな私自身の性が簡単に落ち着かせてくれるはずも無いのだと、もう半分諦め気味になっているのだ。

流石に、来年のこの時期既にウィンザーを離れているなどというようなことは無いだろうから、少なくともまだあと一回はここで蛍を拝めることだろう。ただ、もし蛍が初夏の風物詩だと言うのなら、夏嫌いの私は蛍の季節が少し遅くやって来ても構わないとも思っている。