カナダ人になった元日本人の私

今日無事に市民権授与式での宣誓を済ませ、カナダへの移住から6年半、晴れてカナダ国籍を取得した。

流れに任せてチャールズ新国王に忠誠を誓ってしまった私。

いつ終わるかも分からない待ちのループがようやく解消したと言うのに、新国王に忠誠など誓えぬと市民権の取得を諦められる程の意志の強さは元々持ち合わせていない。大体生まれてこのかた誰かに忠誠を誓った経験が無い私は、忠誠を誓うとは一体どういうことなのか結局のところよく分からず、文字通り流れに任せてそのプロセスをこなしてしまっただけだ。

この時代、まさか我の為に汝の身を捧げよなんて言う王様が居るとは思わないし、国王だろうが同じ人間であることに変わりは無い。だから私はただ、途轍も無く重い責任を背負ってしまったそのお方がいつも健やかにおられるようお祈りすることで、自分なりの忠心を表そうと思う。

今のところ、カナダ人になったという実感は全く無い。

元々多民族国家のカナダだから、大抵の場合、私のようなアジア系の人が街を歩いていても誰かが気に留めることも無ければ、明らかに生粋のカナダ人の英語でなくても、わざわざどこの出身なのかと聞いて来るような人もほとんど居ない(田舎町は例外)。そんな場所だから、自分から言わない限りは誰も私が日本出身だなんて知らないし、初めからそんなことはどうでもいいのだろう。

特に違いを見出そうとしない環境では(無論、いつもそれがいいことであるとは限らないが)、私自身が周りと違うのだと意識させられるきっかけも少なく、だからこそ、国籍がカナダになったところで、それを強調する必要性も全く感じられない。

国籍上、これからは日本人ではない。元日本人のカナダ人になった。

海外では個性が大切にされると、それが如何にもすばらしいことであるかのように言う人も居るけれど、私は日本を離れてからもう少しで30年になろうとしているせいか、そんな「すばらしいこと」よりも、誰かと何かしら同じものを共有していられることで得られる安心感により尊さを覚えて来たような気がする。国籍もその中の一つだった。

国籍が変わったからと言って私という人間まで変わってしまう訳ではないにしても、今日を境にこの共通項を無くしてしまったのはやはり事実だ。これまで与えてもらって来た安心に感謝し、また別の共通項探しをしつつも、まずは新カナダ人として前を向いて頑張って行く。

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