「海外に暮らす」などと言ってしまうと、確かに言葉そのものの響きは結構いいものかも知れない。実際には場所によりけり、期間の長さによりけりだし、何より各個人の年齢や家族構成であったりといった要素もまた生活に大きな違いをもたらすものだ。
私自身、時に違和感を感じ、絶望感に苛まれ、それでも何とか踏ん張って、乗り越えて、そんな事を繰り返しながら、全てに納得し、全てを解決しようとはせずに、必要に応じて物事から目を逸らす術も身に付け、自分なりのバランスを保ちながら、過去二十年以上もの間、状況をまるで異にする3つの国で生活して来た。
「必要に応じて物事から目を逸らす」事は海外生活に於いて特に必要不可欠な部分であると意識して来たものの、最近偶然見かけた記事を読んでみて、目を逸らしたくともなかなか逸らせなくなってしまったのが認知症に関する問題だった。
多言語話者の認知症という「社会問題」
その記事で触れられていたのはヨーロッパでの事情で、社会がより多元化する趨勢にあって、異なる言語や文化背景を持つ人に対する社会的な支援のあり方がより重視され始めているという内容。中でも本来多言語話者であったはずの人が、認知症を患った事で居住国の共通語での会話能力を失い、他者がサポートを提供するのにも困難を来たすケースが増えているそうだ。
元より認知症患者に対する支援はいずれの高齢化人口比率の高い国でも社会問題化していて、日本も当然ながらその例に漏れない。ただそれも大半の場合、あくまで高齢者の誰もが罹り得る病に対する支援に起因する問題として捉えられているに過ぎない。ところが今一部の国に於いてそれをより複雑化しているのが前述のとおり多言語話者の言語喪失で、自身も多言語話者の一人としてカナダに生活している以上、自然と目を逸らす事ができなくなってしまったのだった。
海外で「社会問題」の原因になるかも知れない自分
高校を卒業後、二十年強に渡って非英語圏の国に暮らし、39歳になる年にカナダで永住権を取得して新しく生活を始めた。カナダに来る前は仕事上英語を使わなければいけない場面はあったものの、それを除けば当時在住していた国の言語がほぼ唯一のコミュニケーションツールであり、その言語だけに頼る生活を送っていた。
だから私にとって英語は第三言語で、正直これほどあやしいものは無い。もし将来認知症を患い、言語能力を失ってしまうような事があれば、まず初めに忘れるのが英語であろう事は容易に想像がつく。しかしその英語こそがこの国で最も話されている言語であって、得手不得手に拘らずそれを使わずにはコミュニケーションが成り立たない。認知症を患っているのならなおさらだ。さあ、どうすればいいだろう。
カナダで五年になろうかという頃ながら、これまでにできた日本人の知り合いは片手で数えられる程に過ぎず、彼女達は皆カナダに嫁いで来た人。英語、若しくはフランス語が家庭内の言語で、日本語を解するパートナーを持つ人は居なかった。カナダで同じような家庭環境で生活している人はきっと少なくないだろう。そこでお伺いします。もしあなたが認知症に罹ったとします。そして英語、或いはフランス語を忘れてしまったとします。さあ、どうしますか?
誰もが原因となり発生し得る社会問題と、一部の人だけが原因になって発生し得る社会問題で、ましてや自分がその一部に含まれるのとでは、受ける印象はどうしても違って来てしまう。しかし後者のような原因になる事は避けられるのだろうか?それが可能ならば、具体的にはどのような方法があるのだろうか?
海外在住者が四十代にして始める老後への準備
残念ながら、認知症に罹らない事、罹っても言葉を忘れない事など誰にも保証する事はできないし、今日の医学を以てしても認知症の発症を止める事はできない。結局のところ自分にも起こり得る事として捉え、その上でどのように対処すればいいのかを前もって考えておく他無い。
例えば、カナダでも比較的日本人在住者の多いトロント、バンクーバーやその近郊エリアであれば、日本的なサービスを提供するホームがあったり、中国系移民が多く住むホームで日本語通訳や日本人の介護士さんが配属されているところもあると聞く。そのような場所に入れるのなら本人も家族も安心できるだろう。
私が住む州にそのような場所があるとは聞かないから(よくよく調べればあるのかも知れないが)、この州では認知症患者に対してどのようなサービスを提供しているのか、どのように申請すればいいのか、どのような認定基準なのか、そして通訳サービスはあるのか、といった事を調べるのと同時に、まだ症状が軽く済んでいる段階により自立して生活を営む為にできる事には何があるのかを、44歳の誕生日をこれから迎えようとしている時に考えている。
現時点では永住権保持者としてカナダに暮らし、将来的な帰化も考慮に入れている。しかし例え帰化して国籍上はカナダ人になったとしても、この国に一人の移民として受け入れてもらい、生活の場を与えてもらった事に変わりは無い。返すべき恩こそあれ、社会問題をもたらすなどとても本意ではない。今後も色々とお世話になり、迷惑を掛けながら生きていかなければならないにしても、生活の経験値を積み重ねて行く中で、より多くのものを周囲と共有し、そしてお返しできる自分になるのを願うのみだ。