もう4月も終わろうとしている頃、カナダに春はやって来たのか?

「ま〜だだよ。」

そんな声が聞こえたような、聞こえなかったような。まあそれもそうか、とも思う。日本はもちろん、バンクーバーやトロントでも春の訪れを告げるソメイヨシノが育たないようなこの場所にはそう簡単に帰って来てはくれない。ではそんな極寒の地には何が春が来た事を教えてくれるのだろう?

カナダが最もカナダらしい冬の時期に、気候の温暖な南国へと「避難」していたカナダグースとやらがまた戻って来た時?

雪の塊と見紛う程に白い毛に覆われていたノウサギが本来の褐色を取り戻した時?

それはそれで確かに春らしいのだけれども、あくまでぬくぬくのダウンを身に纏った動物達の話であって、その頃にも人間にとってはまだ寒い日が続いたりする。実際に昨晩は微かに雪が舞い、朝の最低気温もいまだに氷点下まで下がる日が続く。どこか嫌がらせでもあるかのように。まさに「ま〜だだよ」の響きそのものだ。

思えば去年の今頃はこの地でもまだコロナウイルスの流行が始まって間も無い時で、何をどこまで真剣に捉えればいいのかも分からなかった。より多くの事が判明するにつれて戸惑いは薄れて行ったものの、人々の対応は極端に分かれる結果となり、まだ何も分からずに戸惑っていた頃の方がよかったとさえ思える。

そして同時に、この1年程季節感を感じさせなかった年はこれまでに経験した事が無いようにも思う。春も、夏も、秋も、前回やって来たのは一昨年だったかのような錯覚すら覚え、ただ冬だけは長く続いて、いつまでもその終わりが見えないような気もしていた。

ところが幸いにも、最近になってワクチンの接種を受ける機会に恵まれ、小さな一歩とは言え前に進む事ができて、コロナ以外に大した話題が見つからなかった生活にもようやく変化が生まれるかと期待を抱けるようになった。心に僅かばかりの余裕ができたからなのだろうか、私もようやく春を見つけた。すぐ身近なところで。

去年購入したハスカップの苗木。長らく雪に覆われた庭の片隅に放置されていただけのはずなのに、それでもちゃんと芽吹いてくれているのに数日前になってふと気がついた。決して鮮やかとは言えない緑も、私の目には何故だかとてもまぶしく見える。

この町に春がやって来るのは確かに他の場所より遅いし、春の訪れを印象付けるソメイヨシノも育たない。でも偶然に去年買ったハスカップがこうして春を感じさせてくれた。そのハスカップも逆に東京やバンクーバーでは育たない。

コロナの影響で造成が間に合わずにまだ土が剥き出しのままの我が家の庭も、そろそろ業者さんが来てくれる見込みだ。そうすればハスカップも地植えにしてあげる事ができる。ハスカップが地に足をつける時、それは私自身もこの地に足をつける時。今後より多くの花を咲かせ、実をつけるようになれば、その時こそ私にとっての春の到来はハスカップの生育を基準に判断するようになるのかも知れない。それぞれの場所で迎えられる春があり、春が与えてくれる悦びがある。それでいいんじゃないか。

そろそろ家の暖房も切ってしまおう。車のタイヤも交換してもらいに行こう。きっと春はもうここにもやって来た。だから私も少し前に進もうと思う。