カナダとダイバーシティ そんな安易に結びつけないで欲しい

ダイバーシティがカナダにこそ属する概念であるかのように、誇りを持って口にする人が少なくないように感じるけれど、ダイバーシティって一体何だろう?

国境地帯での暮らし カナダ・ウィンザーの場合

アメリカとの国境線沿いに位置するオンタリオ州・ウィンザー。ここには他のカナダ国内各都市とは全く違う「国境都市」ならではの特徴がある。

カナダの田舎暮らしの理想と現実

田舎暮らしを実現する為に求められる代償が意味するものについて、自分があまりにも無知である事に人は気がつかない。

日本国籍を失ってでもカナダの市民権を申請すると決めた理由

最近になってカナダの市民権取得の申請をする事に決めた。この国に来てもうすぐ5年。間も無く44になろうとしている時に。

「もう振り返らない」カナダの市民権取得申請を提出した話

皮肉にもコロナウイルスの大流行が手伝ったのか、いつの間にかオンラインでも市民権取得の為の申請ができるようになっていた。

カナダで犬と暮らす

カナダで保護施設から引き取った犬が家族になってそろそろ1年になるこの時に書き残しておきたい事

私の家族になったのは、真冬に雪深いアルバータの荒野を放浪していたという1頭の雌犬。当時はまだ肋骨がくっきりと浮き出る程に痩せ細っていた。

He or She? ドッグオーナー同士の会話から

まだ5ヶ月の我が家の愛犬。ちゃんと「おすわり」ができれば人様には「good boy!」と言って褒められる。ところがこの子は女の子である。

カナダで股関節形成不全の診断を受けた犬の飼い主になって

股関節形成不全と診断された我が家の次女。今後の治療方針、選択する術式とそれを選択する理由、そしていつ、どこで手術を受けるのかについて。

カナダを旅する

カナダで散歩を楽しめる町を探す旅

想像は創造する。コロナ禍にあるからこそ、自由に想像しよう。カナダは広い。可能性は無限大だ。歩け。歩け。

厳寒の日に夢見るのは北極海へと続く道

最近になって知った事。カナダには北極海へと続く道があるらしい。その名もデンプスター・ハイウェイ (Dempster Highway)。

犬と旅するカナダ コロナ禍の最中にアルバータからオンタリオへ大陸横断ドライブを計画する

引越の為、アルバータ州から五大湖の畔にあるオンタリオ州まで約3800kmの長旅を計画中。コロナ禍の最中、それも2匹の犬と一緒に。

#コロナ禍

コロナ禍でのカナダ人の行動に垣間見たのは「個人主義」なのか?

個人という単位が持つ権利や自由を尊重する、つまり全ての個人に当てはまるのが個人主義で、自分以外の他人の権利は二の次というのではない。

もしホンネしか話す事のできない世界だったら カナダ人は一体何を話すだろう?

どこの社会にも「主流派」と「非主流派」が居て、無条件で刀を与えられた者と、盾すら持つ事ができない者が存在している。

コロナ禍が複雑に変えてしまった帰国準備

2年振りの折角の帰国だと言うのに、コロナ禍によってすっかりそのハードルを上げられてしまった感があるのは否めない。

最近できたてのダシガラより

カナダでトロントにもバンクーバーにも住まないという選択

当初はそこに住む事を想定していたぐらいだから、カナダに来てからだってトロントもバンクーバーも自分から意識的に排除したつもりなど毛頭無い。

カナダの冬がどれだけ寒くてもトイレはいつも暖かいよという話

寒い冬の間他の部屋よりも暖かい場所は確かに存在する。それはトイレだ。一旦ドアを開ければ心が和んでしまうのは別に私がおかしいからではない。

とにかくただ走るだけだったカナダ横断5日間の旅を改めて振り返る

カナダの大地を横断すると言えば、それはロマン溢れるようできっと聞こえは悪くない。しかし現実はなかなかに残酷だった。

日本国籍を失ってでもカナダの市民権を申請すると決めた理由

最近になってカナダの市民権取得の申請をする事に決めた。この国に来てもうすぐ5年。間も無く44になろうとしている時に。

飯が食えずに家など買えぬ 〜カナダでの生活で感じずにはいられない体と心の食に対する拘り〜

食に対する興味は薄れたと思っていたのがカナダに来た事で気がついた。そう、以前は恵まれていただけ。ここに来て執着心?が再燃してしまったらしい。

コロナ禍で改めて露呈するカナダの託児事情の問題点

所謂「認可外」の託児所が全体に占める割合が大きいカナダ。これまでも全国各地で問題が発生し、その度に大きな議論を巻き起こしている。

もしホンネしか話す事のできない世界だったら カナダ人は一体何を話すだろう?

どこの社会にも「主流派」と「非主流派」が居て、無条件で刀を与えられた者と、盾すら持つ事ができない者が存在している。

長年海外に暮らす息子から母への願い

あと何回新年を迎えられるかなど誰にも分からない。残り決して多くはないであろう機会の1回1回を失わずにいて欲しいと願っている。