年末年始に10日間程滞在した日本から戻って来た。
海外に暮らして30年にもなる私だから、日本人らしさをまだ包括しながらも、同時に一般の人達とはまた違った視点や感覚で日本という国を捉えている部分もあるのだろう。滞在期間が短いこともあり、きっといつも「いいとこ取り」で日本での時間を楽しみ、気持ちよくなって離れて行く。
だからこそ、こうしてカナダに戻って来た時に受ける精神的ダメージはなかなかに大きい。

住むエリアによるところもあるだろう。それでもウィンザーという町の空気は澱み切っていると感じてしまう。もちろん私が言いたいのは大気汚染などではなく、この町とそこに住む人達が醸し出す空気感のことだ。
国内の大きな経済圏からは地理的に孤立した場所に位置し、外からの人の流れがあまりにも少ない。ところが小さな田舎町とは違って人々が純朴であるとは言い難い。ルールを守らないのが「ローカルルール」で、自分勝手に振る舞うのが当たり前。
そんな町はまさに溜まったままの泥水と同じ。フレッシュな水は流れて来ないし(流れて来たくない?)、フレッシュな水を望む人がどれだけ居るのかも分からない。泥水の中で繁殖した雑菌同士が仲良くしている地獄絵図に見出せる希望など無い。

「ルールを守らない人なんてどこにでも居る」
確かにそれに間違いは無い。ただ、そんな人達が全体に占める割合や、彼等の行動が社会に及ぼす影響にも目を向ければ、当然ながらそれぞれの場所で大きな差があることに気がつく。都市別治安ランキングなるものがあり、それが一定程度実態を反映しているのを見ても、「ルールを守らない人はどこにでも居る」という人でも、さすがに「どこの町の治安も似たようなものだ」とは言えないだろう。
実際にウィンザーの治安もあまりよろしくない。抱える人口はたかだか20万ちょっとに過ぎないのにもかかわらず、ほぼ毎日どこかで強盗が入っただとか、誰かが暴行に遭ったということがニュースになるだけでなく、銃撃事件が発生することだって決して珍しいことではない。

更に、これはウィンザー限定の話ではないのだが、ここ数年のカナダ社会で見られるある「悪習」にも私は心底失望させられている。
それが、何でもかんでもとにかくトルドーのせいにするということ。
まあなんとも低レベルな人間の多いことか。そんな輩が百人居るよりトルドーが一人居た方がよっぽどマシだと私個人は思うのだが。現実にトルドーが辞任を表明した今、この先どの党が政権を握り、誰が首相になるにせよ、この国も、そしてこの町も、一体どのように変化して行くのかは見ものだ。

去年などはもういい加減ここを離れられるのではないかと期待していたし、そのつもりでいたからこそ自らに我慢を強いることもできていた。何かをインプットすることも、逆にアウトプットすることもせずにいたのは、それだけの時間も気力も無駄だと考えたからだった。
ところが物事は私が希望したようには進まず、またこうして新年をこの地で迎えることとなってしまった。だからもうこの際我慢などせずに、負の感情の撒き散らしと言われようと、もう少しホンネを曝け出してみようかと思う。
結局のところ、私はウィンザーという町がどうしても好きになれない。