カナダで散歩を楽しめる町を探す旅

想像は創造する。コロナ禍にあるからこそ、自由に想像しよう。

カナダで生活してそろそろ5年になろうとしている。ところがこれまでに訪れた事のある町はまだまだ少ない。その機会を設けられないぐらい忙しい日々を過ごしていたのではなくて、正直に言えば、そこまでの興味を抱かせてくれるような町はカナダにはそれほど無いから。もちろんこれは完全に私の個人的な印象なのだけれども。

元々1つの町が魅力的な雰囲気を醸し出せるようになるのには欠かせない要素があり、長い歴史があるか、もしくは一定数の人口を抱える町が初めて条件を満たせるように思う。ヨーロッパの至るところに散歩に適した町があるのは、歴史こそがもたらし得る街並があるが故だし、歴史と呼べる程の歴史は無くてもニューヨークで街歩きが楽しめるのは、そこに沢山の想像力溢れる人が居て、同じ町の中でも多くの異なる景色を見せてくれるからだ。

ところが、そのいずれかの条件を満たすような町をカナダで探すのは簡単ではない。

何しろこの国に於いて歴史を語れるのは先住民の人々ぐらいで、ただ彼等は「町」と定義できるような町を形成していない。ヨーロッパからの移住組についてもこの地にやって来て僅か数百年に過ぎず、それを町に魅力を与える「創造主」としての歴史と呼ぶに値するかと言えば判断は難しい。

そしてニューヨークに匹敵する人口を抱える町は皆無であるだけでなく、車社会のカナダでは人口が多い町であっても人はあちこちのコミュニティに分散して住んでいる事も多く、陸続きの土地を行くと言うよりは、島と島の間を辿って行くような感覚に近い気がする。

点と点で結ばない旅 ただの拠点にならない町

ではカナダに全く歩き甲斐のある街並が存在しないかと言ったら、もちろんそんな事は無い。

トロントなどは特にその多様性で楽しませてくれる街並があり、中でも一見すると何の変哲も無いように感じるポーランド人街 (Roncesvalles Village) は私のお気に入りだし、そこから遠くないウクライナ人街であったり、リトルポルトガルやリトルイタリーにまで足を延ばせば、あっという間に時間が過ぎてしまう。これら以外にもトロントには数多くのエスニックタウン(英語では ethnic neighbourhood と呼ばれる)があるから、住民も観光客も、他ではあまり無い街歩きを楽しむ事ができる。

カナダ第二の都市であるモントリオールには私も暫く住んでいた事があって、多くの観光客の姿を見かける旧市街だけではなく、町全体に漂う「ちょっと違うカナダ」感が心地よかった。個人経営の店舗が多く並ぶのもこの町の特徴で、それぞれのお店にあるであろう物語を想像したり、気が向けばその内のカフェに立ち寄ってコーヒーを飲みつつ本を読んでみたりするのもいい。当時住んでいた家の最寄り駅から地下鉄で20分はかかるダウンタウンまで、ジメジメとして暑い夏も、凍えるような寒い冬の日にも、1時間以上かけて歩いて行ったのが懐かしく思い出される。

これら両都市のどちらかだけを訪れる目的でカナダまで旅して来る人は実際のところ多くはないのだろう。トロントは実は「ついで」で、本当はナイアガラの滝がメインの旅だったり、モントリオールはケベックシティとセットでというのもありがちなプランだ。結果として限られた時間の中で忙しなく幾つかの観光スポットを周り、地元のレストランで何かおいしいものを頂く程度で終わってしまうのではちょっと残念だ。

そしていずれも大きな町だから、徒歩以外の手段に頼って移動してしまいたくなるのだけれど、基本的に無駄な空白が無いという共通点があり、何の目的も無くただ歩き続けているだけでも、人の気配や町の活気が好奇心を旺盛にさせてくれるし、そうして初めて見えて来る景色だってきっとある。まずはとにかく歩く。歩けばいい。

世界遺産に登録されたルーネンバーグ旧市街

以前私がのんびりと散歩を楽しめるだろうと期待して訪れた町の1つに、ノバスコシア州のルーネンバーグ (Lunenburg) がある。

2021年2月現在、カナダにある20の世界遺産登録物件中、顕著な普遍的価値を持つ旧市街としてリストに掲載されているのはケベックシティとここだけという事もあって、相当な期待を胸に出かけたのを覚えている。

確かに色とりどりのペンキで塗られた外壁を持つ家々が立ち並ぶその街並はフォトジェニックで、今時の言葉で言うならばそれこそ「インスタ映え」するものではあった。しかし、その中を歩いていて楽しかったか、ワクワクしたのかと聞かれると、期待していた程ではなかったとしか言えない。

私がルーネンバーグを訪れたのは冬の寒い1日で、まるで人の気配がしなかったのだ。世界遺産に登録された小さな町の旧市街ともなると、どうしても安易に観光業にばかり頼るビジネススタイルが出来上がりがちで、シーズンを外してしまうとそこに住む人の生活感すら感じられなくなってしまうのは不思議な事ではない。少なくとも私の目にはそんなテーマパーク的な町に映った。

もしかすると、対照的な街並のカラフルさと人気(ひとけ)の無さがもたらす落差に失望しただけかも知れない。もう少しゆっくりと時間をかけて歩き回ったならば、何か違うものを見つけ、感じる事ができたのかも知れない。ただ、歩き回るにもいかんせんその旧市街は小さ過ぎた。また次回来てみようとその時ばかりは思ったのだけれども、以来今日に至るまでその「次回」とやらはやって来ていない。車を数時間走らせればよかった当時と違い、ルーネンバーグを再訪するにはあまりに遠いところに引っ越してしまったし、今後も恐らくその機会は無いだろうと思う。

そう考えると、縁はもちろんの事、特にカナダという冬が長く寒い国に於いては、訪れる季節を選ぶ事も大切なのだと分かる。観光客まみれになった町を往くのはなかなかに嫌気が差すもの。だからと言って、人が少ない頃を見計らって訪れた結果全く人が居なかったら、それはそれで何とも味気ないものだ。

ケロウナとネルソンはコロナ禍の後に訪れてみたい町

現在アルバータ州に住んでいる私が、こちらに越して来てから気になっているのがお隣ブリティッシュコロンビア州の町、ケロウナ (Kelowna) とネルソン (Nelson) 。そこに何が待っているのかは分からないのに、コロナ禍に入ってからと言うもの、それまで以上に行ってみたい気持ちが強くなった。

両方の町に共通して言えるのは、ただ町だけがぽつんとあるのではなく、どちらも自然の豊かな場所に位置している点。ケロウナはオカナガン湖に面しているし、ネルソンも山あり湖ありの風光明媚な町だ。

それでも、話を初めに戻すようだが、ここで言う散歩はあくまで街歩きで、基本的には人が創りあげた文化的要素に頼った空間の中を歩く事を指して言っている。人工物と自然の融合が生み出す景色も美しい。ただ、自然はとりあえず背景として構えていてもらい、まずは街並そのものに心が躍る場所を今は見つけたい。

ケロウナはカナダ人が老後を過ごしたい町としても有名だと言うから、勝手に想像するに「何もかもがちょうどいい」ところなのだと思う。気候も、規模も、発展度も、そしてきっと街並も。だから私は「ちょうど良さ」がもたらす余裕みたいなものをこの町に期待している。

ネルソンについては、ヒッピー文化でその名を馳せる町で、私自身はその響きに惹かれる訳でもないながら、そんな人達の集まりが創る街並と醸す空気には興味がある。更にもう1点、ここが坂の町であるのもポイント。元々尾道やリスボンへの憧れがあれば、ネルソンに魅かれない理由は無い。

アルバータ州に住む私にとって、これら2つの町は比較的気軽に出かけて行きやすい場所でもある。折角出かけて行くのだから全く何の期待もせずに行くのは無理にしても、万一期待外れに終わってしまったところでショックもそこまで大きくはないだろうから、コロナ禍を乗り越えた暁にはまずこの辺りから始めようかと思う。

霧立ち込める町とカラフルな海辺の田舎町

ケロウナとネルソンは近場だからこそ行ってみたいと思える町なのだが、本当に行きたい場所はあまりにも遠くにあって、いつ実現できるかも分からない。

それは遥か彼方の大西洋側にあるニューファンドランド・ラブラドール州のセントジョンズ (St. John’s) とトリニティ (Trinity) だ。

ひどく遠くにあって、人々は訛った英語を話しちょっと垢抜けない。ニューファンドランドに対してはいつもこういったイメージが付き纏う。ところがそんな大半のカナダ人が生涯訪れる機会も無さそうな所に、アトランティックカナダ(カナダ大西洋沿岸4州)では第2位にランクされるセントジョンズ都市圏があり、垢抜けなくても実はとても心やさしい人達が住んでいる。そう聞いてはもう興味を抑える事などできない。

セントジョンズの街並は、ネット上で写真を探して来て見たり、グーグルマップでダウンタウンの道筋を追っていたりすると、カナダの他都市とはどこか違うようだ。退屈になり過ぎない重厚感あり、ポップな中にも妙なバランス感覚あり、そしてそれらが決してわざとらしくなく共存しているように感じられる。

その街並のところどころにあるアイリッシュパブもまたこの町がこの町たる所以で、昼間はそれを脇目に見ながら街を歩いて周り、夜の帳が下りるのを待って、地元の陽気な人々に紛れて酒を飲むと言うのも乙なもの。セントジョンズは世界で最も霧の深い町らしいのだけれど、そんな「霧の町」で方向感覚が失われるままに歩きつつ見かけたパブは、霧が明け闇が訪れた時にもまた見つけられるだろうか。

セントジョンズからニューファンドランド島を北へ車を走らせる事約3時間の距離にあるのがトリニティ。そこがどんな場所であるのかを知っている人は、「また外見だけで興味をそそられている」と言うだろう。確かにトリニティには前述のルーネンバーグのようにカラフルな家が並んでいる。私がまず何に目を奪われたのかを正直に言えばやはりそのカラフルさだ。

この町がルーネンバーグと違うのは、もっと小さな範囲に、もっと少ない家が建っている点で、町と言うよりは集落と呼ぶのが適切に感じられる程だ。だからこそ、その地理的な条件も含めて考えると観光業だけでやって行くのは簡単ではないはず。それなら町は小さいながらもちゃんと生活感はあって、テーマパーク化していないのではないか?とは単なる私の希望。

私は読んだ事こそ無いものの、驚くべき事に宮澤賢治が『ビジテリアン大祭』という作品の中でトリニティを登場させているそうだ。明治中期から昭和初期にかけて生きた作家がこの地に触れているという事だけでなく、この作品自体彼が亡くなった翌年(1934年)に発表されたというから、どこかに埋もれてしまわずに人の目に届いた奇跡を起こしていた事実すら重なっていたのにもロマンを感じずにいられない。

『フランダースの犬』で最後の舞台となる大聖堂を見にアントワープを訪れる日本人観光客が少なくないのなら、トリニティに旅する宮澤賢治ファンが居てもよさそうな気がするのに、そんな旅行記を見つけられないのはやっぱりあまりに遠過ぎるせい?そう思えば尚更行ってみたくなるのは元「旅人」の性というものか。