歳を重ねるごとに日本食への執着を強める海外生活29年目

愛があれば何でも乗り越えられる?努力次第で何とでもなる?私はもうそんなのを信じない。信じようと自分に無理強いもしない。まだ若かった頃ならそれでよくても、歳を重ねてみて初めて分かることは決して少なくなかった。

海外で暮らして30年にもなろうという今なら分かる。食って本当に大切。

近年、テレビからYouTubeに至るまで氾濫し過ぎている「日本礼賛」のコンテンツにはいい加減辟易とさせられている私ではあるが、それでも日本の食についてはとても優秀だと思っている。「カナダ料理」という言葉に存在意義があるのか疑いたくなるほどに食文化が貧弱な国に暮らしているせいか、日本はやはり食べ物に恵まれた国なのだと再認識させられることも多く、だからと言ってそこには生まれ故郷に対する贔屓など含まれていないと断言だってできる。

以前私が暮らしていたアジアの国とは違い、ここカナダでは外食をするとどうしても値段が高くなりがちで、結果として家で自分で作って食べることがほとんど。そして私が普段から作っているのがアジアの食であり、そのメインとなるのは当然日本食だ。玄米を炊き、お味噌汁を作り、いくつかのおかずをこしらえて頂くと、体がどう感じているのかは分からないけれど心は落ち着いてラクになる。

幸いにして、私が住む町(オンタリオ州ウィンザー)にもアジアの食品を売るスーパーがあるし、川を渡った向こうのデトロイトとその近郊にはより多くの選択肢があって、北米では珍しい存在ではない中華系、韓国系スーパーのみならず、日本食を専門に扱うスーパーでの買い物までできてとても便利だ。

例えば、ゴボウやレンコンなどは中華系、韓国系、日系のいずれのスーパーでも手に入るし、シメジやエノキのようなきのこ類は他のどこよりも安い中華系スーパー、キムチはもちろん明太子まで大容量パックでお得感のある韓国系スーパー、紅鮭の切り身や豚薄切り肉なら日系スーパーといった具合に、購入品によって購入場所を選択できるのがうれしい。

これらのうち我が家からは片道50km強(40分)と少しばかり遠い日系のスーパーへは、せいぜい⒉、3週間に一度程度しか足を運ぶことはないのだが、他では売っていない水菜や大葉を買い、お昼にはちょっと贅沢にお弁当+ペットボトルの「お〜いお茶」をゲット(それでもお弁当とお茶で計10米ドル程度)して車に戻って食べるのが私の密かな愉しみだったりする。

もちろん、こうした食材はローカルのスーパーで売られているごく一般的な食材に比べて高くつくものの、日頃楽しんで観ているヨーロッパ在住日本人の方々が運営するYouTubeチャンネルの内容から判断するに、やはり北米はまだまだ安いだけでなく、且つ品目も豊富で、かなり恵まれているように感じるのも事実。

ここでなら、他に特別贅沢さえしなければ毎日日本食を作って食べることはできるが、もし私がヨーロッパで生活していたならば、恐らくはそのような金銭的余裕は持てないだろうと思う。現実にはそのような機会が巡って来るようなことは無いだろうし、万が一巡って来たところで、やはり食生活に及ぼし得る影響を考えると全く悩まないという訳にはいかないだろう。

「日本礼賛」のコンテンツと同様にネット上に溢れる「カナダ礼賛」の内容には日頃から違和感を覚え、多様性という言葉でこの社会を表現したがる人には時に嫌悪感すら抱きつつも、少なくとも食に関して言うならば、異なる背景を持つ者に対してもその一定の需要を満たしてくれている環境には感謝してしかるべきなのだとも感じている(現状、私の場合はアメリカにも頼っているのだが)。

私が海外で暮らして30年近くになったとは言っても、大きく異なる食文化を持つここカナダでの生活は今年でまだ8年目に過ぎない。そして歳を重ねるごとに自身の適応能力は逆に落ちて行くという現実と向き合いながら、現地の食文化にその身を浸すようにして上手に日々の生活を過ごしている人達には尊敬の念を抱かずにいられない。