「ひとりごと」

オススメのダシガラ

花咲く旅路

先日、私は僅か一週間ばかりという短い滞在期間ながらも日本に一時帰国していた。

先の年末年始にも帰国してまだ間も無いにもかかわらず、それでもこのカナダの地から遠く日本へと飛んだのは、その頃まだ病に伏せていた叔父を見舞う為。しかし、「その頃」という言葉を使わなくてはいけなくなってしまったとおり、叔父が亡くなったとの一報を受けたのは今日もまだ夜が明ける前のことだった。

会えたことで体の弱りようも理解していて、もう先は長くないだろうと心の準備もできていたから驚きなどは無かった。私とて伊達に海外で30年近くも生活している訳ではない。無論、こういった経験はこれまでにも少なからずして来ているのだ。

実際のところ、本人はどれだけ辛かっただろうかとか、これで漸くそんな辛さからも解放されるのだとか、そういったことに思いを馳せるよりも、私が日本からカナダに戻って来て、時差ボケすら完全に解消されていないのにその人はもう逝ってしまったことに、自分よがりな虚しさのようなものばかりを感じている。

ただこの虚しさでさえ、時差ボケが解消するのにつれて、きっとまた忘れてしまう。

だからこそ、会える時に会っておいてよかったと思う。

「会える時に会っておいてよかった」。そんな風に思ったのもこれが初めてではない。

デンマークに住んでいた叔父が膵臓癌を患い、その後亡くなったのはコロナ禍の真っ只中だった。海外に住んでいる以上死に目に会えないのは覚悟していても、お葬式にすら参列する機会を奪われてしまったのは悔しかった。

せめてもの救いは、叔父が癌を患ってから亡くなるまでの間に、悩む両親を説得し、二度デンマークまで訪ねて行っていたこと。もし両親を説得していなかったら、もし叔父に会えていなかったら、恐らく私はあれから数年が過ぎた今日になっても後悔していただろう。

いくら長く海外で生活したところで、私にとっての大切な人は日本にこそ最も多く居るのに、いつの間にか日本からより遠いところ、より遠いところへと移り住んでいる。そして今となっては日本はあまりにも遠過ぎて、何かスピリチュアルなものに頼る思いの寄せ方が叶う程の距離感ではない気がしている。

だから、今後こそより多く経験しなければいけないのであろう今回のような別れも、やはり後悔せずに迎えられるように、少しぐらいは無理をしてでも会える時に会いに帰ろうと思う。

見舞いに訪ねた時、東京の叔父の家のベランダ先にはまだ桜が咲いていた。その花が叔父の目に映ったかどうかは残念ながら私には分からないけれど、もう苦しまずに済む今こそ、桜でも薔薇でもムクゲでもいいから、どうか美しい花に囲まれていて欲しいと願わずにいられない。