東欧の香りが薄れつつあるワルシャワの街で

まだ十代の頃から私が興味を持っていた東欧諸国の中でも、その後の人生の中で特に縁を惹きつけることになった国、ポーランド。これだけ遠くに住んでいながらもう5回は訪れて来ただろうか。

ポーランドの首都ワルシャワ。私がこの町を訪れようと初めて試みたのは1998年の夏。当時デンマークに暮らしていた叔父を訪ねた時だった。折角はるばるヨーロッパまでやって来て、大して見どころも無い(ように感じる)デンマークに滞在して終わりでは勿体無いと、元から興味のあったポーランドにまで足を伸ばそうかと思いついたのだ。

ところが当時のポーランドは日本人が訪れるには事前にビザを取得している必要があり、デンマークのポーランド大使館に電話したところ、申請から取得までに最低でも1週間を要すると聞いて断念し、結局はドイツのベルリンに行き先を変更したという経緯があった。

残念と言えば確かに残念ではあったけれど、もしそれだけの話であれば、はっきり1998年のことだったと覚えていられる訳も無い。今もこうして忘れずにいられるのはその直後に訪れた縁があってのことだ。

その縁というのは新たに知り合った留学仲間とのもの。ヨーロッパへの旅から当時留学していた中国に戻り、秋学期がスタートするのを前に別の町にある別の大学へと転校したところで彼等と出会った。それまでの人生では一度も知り得なかったポーランド人がそこには複数名在籍していた。

行きたくても行けなかった国からやって来た彼等に、まだ見ぬその地にはどのような景色が広がっているのか聞きたくて接触したつもりが、それより何より彼等自身の強烈な個性にすっかり魅せられてしまった私。以降はこの仲間達の存在によって私とヨーロッパとの間の距離が縮められ、ヨーロッパへの旅行を計画する度にポーランドが目的地として含まれて来るようになる。

そんな出会いから数年後に初めて訪れた頃のワルシャワは、いかにも社会主義国家らしい無機質感は北京やブラチスラバで当時見られたほど強烈ではなくても、やはり東欧独特の陰鬱さは結構残していて、私には依然としてとても興味深く感じられた。最後に旅した12年前にもそのような雰囲気はまだまだあったはずだった。

ところが、この間ワルシャワには大きな変化が起きていたらしい。空港から市内へと向かう175番バスの車窓から眺めた景色はまるで様変わりしているように見え、市街地へと入るとそれはより顕著だった。

ユニクロがオープンしていたり、バスやトラムにも新車が導入されていたり、新世界通りには小洒落たカフェやレストランが立ち並んでいたり、物価も少しは上がっていたりといった一つ一つの具体的な変化を挙げてしまうよりも、抽象的に「全体的にとにかく垢抜けた」と言った方がよりしっくり来る感じで、それまでに私が知っていたワルシャワと違うのは明らかだった。

しかし幸いだったのは、そういった変化が町の個性を掻き消そうとするほどまでのものではないこと。どこぞやの国で、競い合うようにして無闇に高層ビルを建て、本来そこにあったはずの街並を過去のものに変え、残ったのは何の特徴も無く同じ顔をした町ばかりという惨状を見て来た私は、ワルシャワで見た変化に対して嫌悪感を抱くようなことが無くて済んだのには安心した。

更にそれ以上の幸いは、私がただの旅行者としてワルシャワを訪れたのではなく、彼の地で生まれ育ち、町の歴史にも詳しい友人に会いに行くのが目的だったことに他ならない。

友人のおかげで地元の人しか行かないような一本先の路地にまで足を踏み入れ、街角に入居しているお店がどのような変遷を辿って来たのかを知れることで、ただ闇雲に変化しているのではないこの町が「生きている」のを感じることができたのだ。

この友人が教鞭を執るワルシャワ大学の教室に入って、一昔前の学生気分を取り戻してみたりできるのにしても、私にとってはもう世界中でもここワルシャワでしか経験できないこと。いつの頃からか、何か新しいものを見つけに行くのではなく、親戚であったり、古くからの友人に会いに行くのが自分なりの旅のスタイルになったのも、そうした経験があってのことかも知れない。

そんなワルシャワの町でも変わらないものを私は一つ見つけた。それは人々の視線。

移民大国のカナダという国で生活しているせいか、アジア系である私に人々が特別な注意を払うようなことはほとんど無い。田舎町に行けばそれもまた別の話にはなるが、少なくともウィンザーでは全く気にならないし、日頃からよく買い出しに出かけるアメリカのデトロイトやその近郊でも同じ。

それがワルシャワでは違った。カフェに座っていても、バスを待っていても、友人と歩いていても、道往く人達がチラチラと、視線を微かに私の方向に移しているのが分かってしまう(だからと言ってそれが非友好的なものだと言うのではない)。大きな変化を経たように見える町で、私は以前と変わらない人々の目の動きに妙な懐かしさと安心感を覚えたのだった。

東欧ではプラハやブダペストこそがより多くの観光客を集める都市なのだろうし、同じポーランドでも単に観光目的で訪れるのであれば、首都ワルシャワよりクラクフを選ぶ人はきっと少なくない。

実際プラハもクラクフも美しい町で、特に前者については私自身何度も旅してはいるけれど(ブダペストには行ったことが無い)、どこにより親しみを感じるのかと聞かれればその答えはやはりワルシャワになるし、きっと今後もこの町を好きで居続けられるだろうと思う。

糖尿病を患い、今では杖無くしては歩くのも不便で、視力も落ちて来てしまっているこの友人が、以前から変わることの無い威勢の良さを失わずにいられるうちに、また次回の訪問を計画しようと考えているところだ。