「飄洋過海來看我」〜愛は海を越えて〜

世界がコロナ禍に突入してもう1年。この期間中どのような話題であってもコロナの影が見え隠れし、誰と話してもどこか諦め気味で、非現実的で、今は無理だからまたいつかねと、あまりに沢山の願いや期待を心に溜め込んでしまった。それでも自分が日々健康に過ごせているだけで有り難い事なのは分かっているし、このような状況に対してとうに慣れたような気にもなっていた。

ところが最近になって、やっぱり心は頑張ってしまっていたのかなと気づかされた事がある。香港に居る友人から届いた1枚の絵手紙を受け取ったからだ。富士山と香港の摩天楼群が上下に配置され、なんとも柔らかなタッチとやさしい色で描かれていたのだった。

香港の摩天楼と言えば当時彼の地に暮らしていた時幾度と無く見た景色だし、富士山は日本の実家の庭からいつでも見える。そんな懐かしい眺めを絵にして送ってくれた彼女の心遣いが私の琴線に触れ、気持ちが穏やかになって行くのを感じた。それもこの絵手紙、後になって聞いたところ、現在香港からカナダへ送られる郵便物は航空便扱いでの差し出しが不可となっているせいで、香港から2ヶ月もかけて船便で届けられたと言う。それを聞いたら尚更、古くからの友人である彼女にまた会いたくなった。

思い返せば、毎年大量に書いて出していたクリスマスカードも去年は何故かその気にならず、結局1枚も出さずに年末を迎えたのだって、コロナがもたらした何かが私の心にも影響していたのかも、と思う。書いたところでコロナづくしのフルコースになってしまって、クリスマスカードには到底似つかわしくない内容だっただろう。ましてやこれから新年を迎えんとする時に受け取ったカードが過去1年に渡って自分を苦しめたコロナに対するレビューだったら?そんなものをもらってうれしい人など居るものか。きっとそんな心理が働いていた。

今更何を言ったところで後の祭りなのだけれども、今回友人から受け取った絵手紙を目の前にしながら思った。「それでもやっぱり書けばよかった」と。どんなフルコースになっていたとしても、その最後の楽しみとして残しておけるデザートはあったはず。いかにもカナダから届きましたとばかりに甘さたっぷりのデザートを用意できる程の文章能力は持ち合わせていない(残念ながら絵心は初めからゼロだ)。ただ、ほのかな甘さが漂う「ありがとう」や「元気で」に互いが救われるぐらいのチャンスはあったかも知れない。

教科書でしか見た事がなかったようなパンデミックという事態に晒され、時代は繰り返されるのだと身を以て理解した今、それをきっかけに改めて思い起こされる人と人のより直接的な触れ合いにかつて感じた温もり。メールやメッセージでは伝わらない、筆跡や絵のタッチに表現される想いがこんな時こそ皆に必要だと感じている。

そんな風に考えていた折、我が家のポストにもう1枚のカードが届いた。「free postage-paid postcard」との文字がふられたこのカード、誰かが書いてくれたのではなく、実はカナダの郵便事業者であるカナダポストによって全世帯に1枚ずつ配られたもの。郵便料金無料でカナダ全国どこにでも送る事ができる(デザインが幾分シンプルに過ぎたのは玉に瑕)。つまり、コロナのせいで会えなくなってしまった人達にカードを書いてみませんか?という事らしい。元は悪評高いカナダポストだけど、今回ばかりは「Good job!」とサムズアップせずにはいられない。

このカードはカナダ国内に宛ててしか送れないから、元々この地にそれほど知り合いが居る訳でもない私は誰に出すのかをほぼ決めている。それと同時に、カナダ国外に暮らす友人にも久々にカードを書いてみようとも思っていて、この週末に前々から気になっていた店にカードを調達しにエドモントンまで出かける予定だ。