国籍喪失届の提出に日帰りでトロントへ

申請から約1年、晴れてカナダの市民権を取得し、同時に私はこれまで四十数年に渡って保持して来た日本国籍を失った。

日本の法律上、カナダへの帰化に伴い自動的に日本国籍を喪失するとは言え、居住地でその届出が必要とのことで、今回トロントの日本領事館まで出かけて来た。

家からも見えるデトロイトの日本領事館 ところがここは管轄外

オンタリオ州ウィンザー在住の私にとって、川を1本挟んだ向こうにあるアメリカのミシガン州デトロイトはまさに文字通り「目と鼻の先」。デトロイトに入ってすぐの場所にある日本領事館が入居するオフィスビルまでも、国境越えさえスムーズなら10分で到達できてしまう。

そのような位置関係にあるとは言え、そもそも在外公館には管轄地域というものがあり、基本的に国境を跨ぐようなことは無い。ここウィンザーを管轄するのもトロントにある日本領事館で、同じ国の同じ州にありながら、電車で行けば4時間半を要する程の彼方にある。

トロントはウィンザーやデトロイトから北東方向に350km程離れている。

私もトロントまで出向いて「国籍喪失届」を提出する心づもりができていた。だからあの日在トロント領事館に電話したのも、届出の際に必要になると言うカナダ市民権証書の訳文サンプルをメールで送信してもらえるようにお願いする為だった。ところがウィンザー在住であるということを話すと、先方がなんと、

「トロントは遠いからデトロイトで提出して頂いてもいいですよ」

と言うではないか。私は内心、日本の在外公館はいつからこんなにも融通が利くようになったのだろうと訝しげに思いながら、やはりその場ではまだ半信半疑で、在デトロイト領事館にも自分で確認することにした。

デトロイトのダウンタウンにあり、日本領事館が入居する GM Renaissance Center

早速デトロイトに電話をかけ、在トロント領事館に言われたことをそのまま伝えて確認を請うと、電話の向こうの声の響きには明らかに隠し切れない狼狽があり、口調こそ丁寧ながらも、その答えがトロントの言い分を否定するものであったのは私の想像範囲内だった。

しかし後になって、何と領事の方が時間外にもかかわらずわざわざ直々に電話連絡をくださり、デトロイトで受付が可能とのファイナルアンサーを頂くことができた。もちろん有難いことなのだが、こういった扱いが特例ながらも普段からなされているのかどうかは結局最後まで分からずじまい。そして私は結局トロントで喪失届を提出することになる(理由は後述する)。

国籍喪失届とは

原則として多重国籍を認めていない日本では、私のように他国の市民権(国籍)を取得すると、その身分は自動的に日本人から「元日本人」へと変わることになる。

ただこれはあくまで法律上の話であって、ドイツなどごく一部の国を除き、新たに市民権を取得した国の機関がその事実を日本側に通知するような仕組みがある訳ではない。だから本人がその届出をしない限り日本国内には戸籍が残ったままで、事実上日本のパスポートを使い続けることもできてしまい、実際そのようにしている人も決して少なくないと聞く(「隠れ二重国籍者」などと呼ばれるらしい)。

つまり、国籍喪失届を提出するというのは、これまでお世話になった日本という国に対して私が最後に果たすべき義務であるのと同時に、カナダ国籍の一人としてもう前進あるのみという状況に自らを追い込むことでもある。

国籍喪失届提出への準備

さて、デトロイトで受理してもらえるとの話を頂いたはずの国籍喪失届だったのだが、書類が揃った時点で改めて領事館に予約の電話を入れたところ、実際にはそう簡単な話ではないことが判明した。何が問題なのかと言えば、届出に必要な書類がトロントで求められるものとは違っていた点。

届出に必要となる書類(在トロント日本領事館の場合)

  1. 国籍喪失届*2通
  2. カナダの市民権証書(原本1通、写し2通)
  3. 市民権証書の訳文
  4. 日本のパスポート

*喪失届のフォーマットそのものは領事窓口に備え付けのものを利用可。北米で一般的な印刷用紙の規格である「Letter」は日本の「A4」と微妙にサイズが異なることもあり、領事窓口で直接記入することで、用紙のサイズ違いによる書き直しを求められるのを防ぐことができる。

それがデトロイトで届け出る場合、市民権証書の写し(コピー)に関しては公証が必要となるだけでなく、領事館の管轄区域外からの届出となるせいで、日本から戸籍謄本を取り寄せて一緒に提出しなければならないと言う。

おまけに1ヶ月半先まで予約で埋まっているらしく、そんなに面倒で且つ別途費用が発生し、時間も余計にかかるのであれば、もうトロントに行った方がまだマシだと、デトロイトで提出するのは諦めた。

ちなみに、国籍喪失届の提出時に必要となるその他の書類については、同じカナダ国内にあっても領事館それぞれで求める内容が違うようで、トロントやモントリオール、カルガリーの領事館では必要無い戸籍謄本の提出がバンクーバーでは求められているのだそう。何故なのか、その理由など私には知る由も無いが、そんなものはいい加減統一して欲しいものだ。

そして国籍喪失届の提出へ

ここウィンザーからトロントまでは結構な距離がある。カナダ全体から見れば近いうちでも、片道だけで4時間半を要する距離を同日中に行って帰って来るのだと聞けば、既に充分疲れた気にならないだろうか。

その上電車は1日に4本しか走っていないし、その電車も遅延が発生しない方が逆に珍しい。だから、午後3時前に入れた予約の時間に確実に間に合わせる為には、朝一番の5時台にウィンザーを出発する電車以外に選択肢は無かった。

そして案の定、電車は30分遅れてトロントに到着した。

2本目の電車だとギリギリということで早い電車に乗ったものの、それだとトロント到着が早過ぎるぐらいだから30分で済むのなら遅れてもちょうどよかった。それでも領事館に行く前の時間を利用してユニクロで買い物をしたり、今月1日から提供がスタートしたインフルエンザのワクチンを薬局で打ってもらったりして時間を潰した。

そうしてやって来た日本領事館。コロナ禍で予約制を採っているにもかかわらず、その小さな空間にはもうおひとり、何かの手続きに訪ねて来ている方が居らした。もうマスクを付けている人なんてあまり見なくなったし、領事館も予約制なんてやめてしまえばいいのにとは思ったけれど、恐らくはそれも日本のお上が取り決めたことなのだろう。だから私も領事館に入る前に持参していたマスクを着用した。

ここでは私が準備していた書類を提出したらそれで終わり、かと思っていたら、実際には書類の書き直しを求められたりして結構時間がかかった。

私が引っかかってしまったのが、カナダ国籍取得日や書類の提出日は必ず日本方式、つまり元号を含んだ年月日で書かなければいけなかったのに西暦で書いてしまっていたのと、カナダでの現住所をそのまま英語で記入していた点。

でもカナダの住所を、「カナダ国オンタリオ州トロント市キング通り100番地」のように書くことを求められたのには流石に驚いた。いくらなんでもやり過ぎじゃない?恐らく前もって準備していた人ほぼ全員が領事館で書き直しさせられるレベル。それではひどく eco-unfriendly だ。

カナダの市民権証書のコピーにしても、原本どおり表裏両面を1枚の紙にコピーしておいたところ、わざわざ表面、裏面それぞれに1枚の紙を費やしてコピーし直されたし、結局のところ用意して持って行った書類はどれもこれもダメ出しされたような感じだった。そこまで要求が細かいのなら、どうして領事館のウェブサイトで案内しておかないのか?私はとても不思議に感じる。

今の日本は世界各地の在外公館に紙の無駄遣いをさせるほどお金が有り余っている訳ではないし、大体そのお金=税金であるのに、国はそれをより効率的に使おうとする努力も意識もまるで足りていないのではないか。まあ日本国籍すら失った私がそう言ったところで、ただの外国人の余計なお世話にしかならないのだろう。

私が疑問を心に秘める傍らで、領事館職員の方は粛々と手続きを進めた。私が淡々と準備をしていたのと同じように。そして私が所持した最後の日本のパスポート。窓口越しにまた手元に戻って来た時には穴が開けられた姿に変わり果てていて、これでもう日本国籍であるなどと人も自分も騙すことはできなくなった。しかし何ともあっけないものだ。

領事館を出て、その足で CNタワーとロジャースセンターに隣接する水族館を訪れた。美しい魚を見ていたらもうすっかり何事も無かったかのような気持ちになったばかりか、更には水族館のオリジナルTシャツまで購入して大満足だった私。帰りの電車では5時間の乗車時間を通して爆睡し、ウィンザー到着時には「あぁ、いい旅だった」と振り返った。うん、日本国籍が無くてもきっとちゃんと生きて行ける。大丈夫だ。これからも頑張ろう(今までありがとう)。