親を伴う海外旅行での心得 覚悟無しにはとても行けない

折角出かける海外旅行だから思う存分に楽しみたい。そう思ってはいても、海外に不慣れな親を連れて一緒に行くのなら、覚悟も準備も万端にしていないと難しい。

思いつき得る全てを事前に伝えておく

海外のことも、海外での旅事情も、何も知らずにただ楽しみにしてばかりいる本人達は、私が知らない間に勝手に想像を膨らませて期待で心をいっぱいに満たしてしまう。

楽しむ為にはその前準備が必要不可欠であるのを十分理解しているのは私だけ。それでは旅先で困ることになる。

現地で何か想像と違ったことに遭遇した際、基本わがままな年寄りは、しゅんとするだけならまだしも、「前もって言っておいてよ」と平気で文句を垂れたりする。旅の最中にこれほど腹立たしいことなど無い。

情報提供は事前に細かく、段階を踏んで計画的に。伝えるべきことは伝え忘れの無いよう、念には念を入れて。

旅の計画は初期段階だけ全員参加

旅の計画を立てる際、初期段階は必ず全員参加型にする。

どこに行きたいのか、何をしたいのか、少しでもアイデアを出していれば、それが叶うことで得られる満足感がある。逆に何もアイデアを出さずに行った者ほど、却って現地で自分勝手に振る舞って混乱を招く。

完全に個人手配で旅をすると決めた場合、期限を設定してその中である程度の希望を募り、一定の骨格が出来上がったら、その後はもう自分で肉付けをしてしまった方がスムーズ。

ここで余裕と猶予を与え過ぎるとまた無理難題を突き付けられるから、そうなる前にさっさとスケジュールを組み、既成事実に対してはもう有無を言わせない。自分達の希望に沿って組まれたツアー旅行だと思わせるのだ。

旅慣れた者にとっての「当たり前」は当たり前じゃない

海外で旅慣れた者は、日本と海外が違う場所で、日本の常識は海外の常識ではないのを知っているからよく観察をする。そしてどのような行動も基本的にはそうして得た理解を踏まえて決定している。それは旅慣れた者の「当たり前」。

ところが旅慣れていない者にはそれができない。当たり前のように日本の常識、日本での行動習慣をそのまま外国に持って行くし、何をどう観察すればいいのかがまず分からない。それはよくないとか、それでは危ない、なんてこちらが言ったところで、彼等の頭の中はクエスチョンマークだらけだ。

だからこそ、

私が親を伴って海外へと旅する時には、そんな「当たり前」の思い込みを拭い去り、彼等には何が分からないのかを知る努力から始める。

かわいい子には旅をさせよ?かわいくないジジババに今更必要な試練は無い

どれだけ楽しみにしていた旅でも、一旦海外に着いてみれば時差ボケはもちろんのこと、その他諸々の慣れないこともあって、年寄りは特に疲れてしまいがち。

体力の有り余った子供なら、そこでどれだけ試練を与えたところで将来の為にいい経験になるからと言えても、折角行く海外旅行で年寄りに必要なのはそんな経験ではないのは確か。

だから、親を連れて行くと決めた以上は常に主眼を彼等に置き、時間的にも体力的にも余裕のある計画を立てなくてはいけない。最悪自分自身は次回にまた楽しめばいいと割り切る。

親が疲れた時、一番困るのは本人達ではなくて私なのだから。

いつでもトイレに行けるのは日本だけだと言っておけ

事前に伝えておかなければならないことは腐るほどあるが、中でも重要だと思われるのがトイレについて。

外国に住んでいるとよく分かる。日本はトイレ天国だ。

外国なんてトイレだけを見ればほぼどこも発展途上国で、一般の日本人が想像する先進国レベルには程遠い。何しろトイレ自体なかなか見つからないし、見つかっても運がよくなければ大抵は汚い。

年齢的に外尿道括約筋の活躍を期待できない以上、行ける時には最後の一滴まで絞り出し、どこか途中で少しでも尿意を覚えたら躊躇わずに口にするよう徹底させる。汚いのが我慢できないと言うのなら「パンパース」の一言が最後の手段だ。

そういう私だってもう若くない

ちりも積もれば山となると言うように、一つ一つは小さなトラブルであっても、それが何度も繰り返されれば大きなストレスを生み出す結果になる。それを未然に防ぐには双方の協力が必要不可欠。

どうしてそんなことも分からないんだと感じるのは親の海外旅行の経験不足によるものなのか、それとも親を伴って海外旅行するという私自身の経験が不足しているからなのか。実は本来その検証だって必要なのだと思うが、いずれにしても、この年齢になって経験を積むのは親にとっても私にとっても決して簡単ではない。

片方だけに負荷がかかり過ぎて終いには爆発したという経験談を持つ私は、旅を数日後に控えた今、ナーバスになるのをどうにも止められないでいる。

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