飯が食えずに家など買えぬ 〜カナダでの生活で感じずにはいられない体と心の食に対する拘り〜

私も海外に暮らしてそろそろ26年になろうとしているのだが、その間幾つかの国で生活を経験しているから、各地で食文化が異なるのはもちろんの事、その場所で何を食べられるのかは、当時の収入であったり、現地の物価だったりによる部分も大きかった。ただ幸いにも、カナダに移住する以前住んでいたのはいずれもアジアの国だった。当然各国がそれぞれに独自性を保ちつつも、同時に似た部分も少なからずあるからなのか、基本的に何でもおいしく頂く事ができたし、日本食が恋しくなるような事はほとんど無かったと記憶している。

対してカナダ。正直に言って移住して来る前からこの国の食文化には特段の関心も無かったし、実際にやって来て暫くになるけれど、これと言って興味をそそられるものはそんなに無い。たまに外食に出かけた時に頂いておいしいと感じるものはあっても、それを何度も続けて食べるのは、経済的な面から言っても、単純に好みの面から言ってもちょっと厳しい。

お金の問題はまだしも、味についてそのように感じるのは、実は自分でも全くの予想外だった。食に対する興味はとうに薄れたと思っていたからだ。ところがカナダに来た事で気がつかされた。以前は恵まれていて、興味があろうと無かろうといつでもおいしい食事を楽しめていただけ。そうでない状況に身を置いた事により、却って興味?拘り?執着心?が再燃してしまったようだ。

ケベック名物・プティン (poutine)。フライドポテトにチーズカードとグレービーソースがかかった超高カロリーな一品。

実際に2年前まで住んでいた大西洋沿岸某州での食生活は、苦しかったとまでは言わなくても、相当の工夫を凝らさないとまるで成り立たないものだった。日本食材を専門に扱うお店など当然無ければ、本来カナダには結構多いはずの中華系スーパーすら無かった。かろうじて韓国の人が経営する小さなスーパーがあったのと、卸売を本業とする中国系企業が一部小売に回してくれていたものにお世話になっていた。

そんな場所だから入手できないものなど数え出したらキリが無い。インターネット上で「海外生活 〜〜(食材・調味料の名前) 代用」などと検索してみる事もしばしば。代用すらできないものについては、遠く離れた大都市に行く用事ができた際に購入した。ところがその大都市にしても車で片道10時間を要するような場所だから、せいぜい1年に1度か2度訪れる機会があった程度。アメリカの方がよっぽど近かったのだが、国境を越えた先はメイン州というど田舎のこれまたど外れ。こちらの方がまだ幾分マシに思えた(大変失礼な事を申してすみません)。

食の不便さえ除けば、私はそんな陸の孤島での生活も案外気に入っていた。人々は心にゆとりがあり、親切で、かと言って距離感が近過ぎる事も無く、適度に互いを温め合える環境だったように思うし、町全体のこじんまりとした感じもかつて描いていたカナダのイメージにより近いものだった。メインストリートに売りに出されたゲストハウスの物件を見つけた時には、それを買い取って自分で運営しようかとも考えた程だ(私は元ホテルマン)。それでも食はいつも大きなマイナスポイントだったし、今思い返してみれば尚更で、人に薦められる場所かと聞かれると答えるのに躊躇してしまう原因の1つも食にあり、自分が将来あの場所に戻る事も無いだろうと思う。ロブスターはおいしかったけれど。

そのような生活を経て改めて自身の食に対する拘りを再確認した私だから、食文化や食習慣を異にする伴侶を得て日々暮らしている人には自然と尊敬の念を抱いてしまう。北米在住のユーチューバーの日本人女性がそのご家族の為に食事を作る動画を観たりすると、よりこちらの食文化に則した品々が食卓に並んでいて、これが愛の力なのかと感心させられる。私には到底できそうも無い。

その後大西洋側の小さな港町を離れて越して来た場所は、カナダでも特に冬の厳しい寒さに見舞われる内陸の町ながら、絶対的な食材の豊富さをもって私の心に温もりを与えてくれた。ここで家を購入して今後長く生活して行く決心がついたのにも、当地での食の営みに満足していると言う理由があるのは確かで、日本食はもちろん、中華に韓国料理、更にはタイ料理まで作って楽しめている事に日々感謝している。

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