カナダにもある地域格差と、カナダであってカナダではない感覚

自分で想像していたカナダと、カナダ本来の姿。本来の姿として捉えていたものと、国内で場所を移してから知ったまるで別の姿。

これでもかと言わんばかりに、それまで持っていた概念を徹底的に壊してくれる。そして改めて気がつく。そんなのは概念「らしきもの」に過ぎず、その「らしきもの」も自らの不理解によって産み出されたのに過ぎないのだと。

一部の大都市やその周辺地域に住まない者にとって、ネット上に溢れる「カナダとは」、「カナダでの生活とは」といった内容は、あくまでも一種の読み物として割り切ってこそ読めるものだったりする事が頻繁にある。少なくとも以前の私にはそうだった。それでも同じ国に生活している事は確かだから、そこに書かれた内容と自分を取り巻く環境との違いを見出す事ができるし読んでいて楽しかった。

同様に、もしこのブログを読んでくれる人が居るのなら、指南書のように読むのではなく、カフェに入った時に偶然手にした1冊の雑誌をめくるみたいに扱ってくれたらちょうどいいと思う。

カナダはロシアに続く世界第二位の国土面積を誇りながらも、その人口分布の不均衡はとても顕著だ。

“In 2016, two out of three people (66%) lived within 100 kilometres of the southern Canada–United States border, an area that represents about 4% of Canada’s territory.”

Population size and growth in Canada: Key results from the 2016 Census / Statstics Canada

僅か4%の土地にそれだけの人が集まっているという事は、この地で生まれ育った人でも自分の国についてあまりよく知らないと言っても過言ではない。多くの人は元々その小さな範囲の中で、西から東へ、東から西へと行き来するだけだし、おまけに国土そのものが広過ぎて、人々が更に遠くまで足を伸ばしたいと思ったところで、物理的にも経済的にも困難である場合も多いからだ。

同じ国に居るはずなのに、同じ国であるのを疑ってしまうような感覚に陥る事は少なくないし、そんな場所だからこそ余計にイメージばかりが一人歩きしがちにもなる。

私も今でこそ人口が比較的多く、カナダ全体の経済にも多大な影響を及ぼす資源の豊富な州を住処としているものの、2年前ここに越して来る以前住んでいたのは遠く大西洋側に位置するあまりに存在感の薄い州だった。試しにカナダ人にその州について知っている事を聞いてみても、恐らく質問をされた人の大半は返答に困ってしまうような場所で、その存在感の薄さは日本の島根県や佐賀県に勝るとも劣らない(両県出身の方、ごめんなさい)。

そんな州だから、特にここのように資源で潤っている州の州民には「ただの田舎」とか「何も無いところ」ならまだしも、「金食い虫」やら「金魚の糞」的な暴言で形容される事もある。これは冗談ではなく、私が引越して来た当時実際に言われた事だ。私自身は彼の地の出身ではないしその場は笑って済ませたものの、心にもし表情があるのならそれこそ苦虫を噛みつぶしたようだっただろう。

でもなぜ「金食い虫」などと言われなくてはいけなかったのか。さすがにちょっとひどい。それを理解するのには、まず今住んでいる州の国全体に占める重要度を知る事から始める必要があった。

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当地の原油と天然ガスの産出量はいずれも全国一。多くの州民にはこれらが国に利益をもたらしているという自負があるだけでなく、連邦政府(つまり国)から他州に支給される equalization* にも、自分達の州による貢献分が大いに含まれていると考えている。

*equalization(平衡交付金)とは、各州がそれぞれに異なる財政力に影響される事無く同様の公共サービスを提供できるようにする目的で支払われる交付金。

天然資源云々を言うより先に、これといった産業も発達していない州は当然のように財政力が不足する為、各種交付金が歳入に占める割合は高くなりがち。この州に於ける状況は正反対で、交付金への依存度が圧倒的に低いだけでなく、少なくともその内の equalization については1964年以来これまで支給対象外となっていて全く受け取っていない。

ただ、ここ数年続く世界的な原油価格の下落を受けてこの州の財政状況も決して芳しいとは言えず、失業率は全国平均以上で高止まりの状態を続けている。結果として民衆が長期間に渡って募らせた不満が様々な形で表れ始め、連邦政府与党である自由党がここでは1席も議席を獲得できなかったり、連邦からの独立を叫ぶ人達まで出て来た。「金食い虫」にしてもそのような心理から出て来たものなのだろう。

あの時私はただ、

「以前住んでいた州では除雪作業に入るのがとても早かったのに、ここでは幹線道路でもいつまでも雪が残っているから走るのが怖い」

と言っただけだった。

でもそれを言われた方は、

「自分達が納めた税金を財源にして支給されたお金が他州で目に見える形で使われているのに、自分達が走っている道はいつも雪まみれだなんてアホくさい」

そんな風に感じたのだろうと思う。

「ケチ臭い事を・・・」などと、到底私に言えたものではない。

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カナダに移住してそろそろ5年になり、その間に3つの州で生活していたりすると、つくづくこの国は日本とは随分違うと感じさせられる。1つ1つの州がもうほとんど国みたいなもので、人々が他州に対して持つ感情を形成する要素自体、日本人が他の都道府県に対して持つそれとは異なるように思う。

互いが遠く離れていて、実際に普段の生活の中で繋がりを再確認するような場面も少なく、仲間意識も希薄。そんな関係性でこそ他者の良い部分より悪い部分が目立ちがちにもなる。時にはその「悪い部分」なるものが必ずしも事実に即していなくても、訪れた事すら無い為にイメージだけが先行してしまう。

私は元々この国に対してそれほどの関心を持っていなかったし、ただ漠然と「平和」で「のほほん」としているんじゃないかな、などと勝手に想像していた。ところがどっこい、単に目立たないだけの話で大小様々な偏見やいさかいは結構少なくないらしい。外の世界からやって来た人間にすればそれまで知る事の無かった事実に触れて興味深く感じるものの、少しばかり冷ややかに(冷静に)判断するならば、彼等がお互いに足の引っ張り合いをしているように見えなくもない。

今考えてみると、カナダに対するイメージがこびり付いて取れなくなるまでに出来上がってしまうより前に、数度の州を跨いだ引越を経験する事で見えたものがあったのは大きな収穫だったのかも知れない。顕著に現れる格差を目の当たりにして、時にそれが移民である自分にも与え得る影響を感じるというのは、もし1つの場所だけに滞在していたならきっと経験できなかっただろう。

だから実はこの点も私がカナダで市民権を申請しようと決心した理由(別文:日本国籍を失ってでもカナダの市民権を申請すると決めた理由)の1つで、例え僅かであってもこの社会に自分の意見を反映させる機会が欲しかった。今なお多くの移民を外から迎え入れながら変化を続けているこの国が、これからどのように進んで行くのがより理想的であるのか。そしてどの政党が連邦政府で実権を握る事が自分の住む州にとってよりよい選択であるのか。今後更に全人口に対する移民の割合が増え続けて行くであろうカナダで自らも移民の1人としてここに生活している以上、そういった事を真剣に考え、票を投じるのは自分が果たすべき責任なのではないか。そのように思った。

1つの国である限りは、できる限り互いが互いを思いやり、平等に富を分け合うのが理想の姿。ただそれを民衆が本当に?どれだけ?望んでいるのか。もし望むのならどういった形で実現させるのか。その目的へと行き着くにはどのような道筋を辿ればいいのか。

市民権を取得しようがしまいが私に移民ならではの視点がある事には変わらず、いつも私ならではの興味と関心をもって、この国とこの州の行く末を見守りたい。まだ道は長い。

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