カナダでトロントにもバンクーバーにも住まないという選択

カナダには縁もゆかりも無いような人でもバンクーバーやトロントといった地名なら聞いた事があるように、移住して来た人にとってもまず先に思い浮かべるのはやはりこの2都市。私自身永住権を頂く前はこの国について知っている事なんて大して無かったから、ただ漠然とそのどちらかに住む事になるのだろうと思っていた。

ところが実際にはそうならなかった。

これまで3つの異なる州での生活を経験して来たにも拘らず、バンクーバーがあるブリティッシュコロンビア州と、トロントがあるオンタリオ州、そのいずれにも住んだ事は無い。バンクーバーに至っては、私もカナダでそろそろ5年になるのに遊びに行った事すら無い。

当初はそこに住む事を想定していたぐらいだから、カナダに来てからだってトロントもバンクーバーも自分から意識的に排除したつもりなど毛頭無い。カナダで安定した「身分」と「職」のある現地民と結婚した訳でもない私には、単純に選択肢そのものがあまりにも希少で、欲しかったところでさほど無かったというのが事実だ。

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トロント

トロントはこの国で実質「一強」の存在だし、バンクーバーはアジア系住民が多いから生活も便利で、働き口も他と比較して結構多いはず。ただ、いかんせん両都市とも住宅価格がおかしな事になっている。

当然の事ながら、住宅価格の高騰は買い手だけでなく賃貸物件の借り手にも影響を及ぼす。20年も30年も前から住んでいて既に持ち家がある人には関係の無い話でも、これから異国の地で生活を築いて行こうとする者にとって、現時点のそれは完全に常軌を逸していると感じるレベルだ。

住宅価格の面に絞って分かりやすく、そして少しばかり大袈裟に言うならば、バンクーバーとトロントはそれぞれ「カナダのサンフランシスコ」と「カナダのニューヨーク」。しかしあまりに明白な事に、バンクーバーはサンフランシスコにはなれず、トロントもニューヨークにはなり得ない。バンクーバーにはサンフランシスコのように高収入の仕事がゴロゴロしている訳ではないし、トロントが「世界の大都市」たるニューヨークに肩を並べられる理由も無い。

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バンクーバー

更にそこにライフスタイルや、人によっては子供の教育など複数の要素も含めて考慮するとなれば、バランスの取り方は一層難しさを増してしまう。

私自身はずっとカナダで暮らして行くつもりだから、ここでどのように老後の生活を営んで行くのかについても考えを巡らせた。何かの持病で頻繁に病院に通う必要が生じたり、認知症になってしまうような可能性が無いとも言えない(別文:「海外在住者が将来罹るかも知れない認知症に対して抱える不安」)。

その時が来た際にどこに住んでいるのかはもちろん重要ながら、その時が来る前にどんな生活を送るのかという事こそまず考えなくてはいけない問題で、トロントやバンクーバーのように多くの人がアンバランスな生活を迫られる環境に覚えてしまった不安に相対した時、私の僅かばかりの希望を以てそれに打ち克てるようにはとても思えなかった。

カルガリー

だからこの文章のタイトルにある「トロントにもバンクーバーにも住まないという選択」にしても、当然両手に有り余る程の選択肢から選ばれた結果について言っているのではない。過去5年の間流れて、もがいて、また流れて、そうして流れ着いたこの場所でようやく家を購入し、犬を飼うという、より自発的にできた行為があり、その結果として今過ごしている生活があってこそ初めて生まれ得たものだ。

ここに至るまでの長い間、自発的にできる事以上に、何かに迫られてこなさなければいけない事の方がずっと多かった。自分で望んでやって来たカナダに暮らしていながらも、ゼロからスタートして新たな環境に慣れるまでには相当の労力が必要で、心を落ち着かせる暇もそうそう無かった。何もかもが手探りの状態だったし、とうに若いと言える時期は過ぎてしまった為に、手探りだろうが何だろうがとにかく全てをでき得る限りスピーディーにこなすよう自らに求めて来たつもりだ。

そんな日々を通じて改めて強く気づかされた事がある。

エドモントン

選択という言葉は元々沢山ある選択肢から自分の好みで取捨する事だけを指して言うのではない。時には、好きであろうとそうでなかろうと、僅かに1つか2つどうにか残されたものであろうと、それを受け入れて前へと進む決心をし、自らに責任を課す過程を指しているのだと。

こんな風に言うとまるで希望のかけらも無いように聞こえるかも知れないけどそれは違う。少なくとも私が重ねて来た選択が、結果として自分で思っていたよりずっと現実的であるのに気がつけたのは確かだし、それらの選択がもたらしてくれた新たな生活も、自分が思っていたよりずっと心地よかった。

そもそもカナダに来るのを決めた時点で、後に諦めざるを得ないものが数限り無くある事は分かっていた。それでも実現したい「何か」があったからこそやって来たはずだ。当時はまだはっきりとした輪郭を持っていなかったその「何か」が、今になってそれはまさにこういう事で、こういうカタチなのだと感じられている。まだ一部に過ぎなくても。

冬のあまりの寒さ故にこの町では咲かない桜。それを毎年春になれば拝む事のできるトロントやバンクーバーには憧れがある。コロナ禍が収束した後に初めて春が訪れる時には、是非バンクーバーを訪ねてみたいと思っている(トロントは流石にちょっと遠い)。

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