カナダとダイバーシティ そんな安易に結びつけないで欲しい

カナダとダイバーシティ。

当たり前のように結びつけられがちな2つの言葉。カナダで生活していると、あたかもダイバーシティがこの国にこそ属する概念であるかのように、誇りを持って口にする人が少なくないように感じている。カナダ人はもちろん、カナダ人でなくてもだ。

しかし私はそれを耳にし目にする度に、正直に言えば、相当の違和感と、時には不快感すら覚えている。

「ダイバーシティ=多様性」らしい

ダイバーシティを日本語で説明しようとした時、最も多く使われていると思われるのが多様性という言葉。もしかすると他により適した単語があるのかも知れないけれど、多様性なら確かに誰にでも理解しやすくてちょうどいいだろう。

ただ、言葉そのものの意味なら分かりやすくても、社会という枠の中でこの言葉をどう捉えるのかは人によって随分違うように思う。

人種や言語といった要素を例にとった時、その社会に於いて人種が異なり、母語も異なる人々が多く生活していれば、ダイバーシティという言葉を使うのに相応しいのか。それともそのような状況を社会全体がどう受け止め、受け入れているのかによって決まるのか。

例えば、中国には全人口比で90%強を占める漢民族の他に50以上もの「少数民族」と呼ばれる人達が生活している。ところがこの国がダイバーシティという単語を以って紹介されるような事はほとんど無い(中国国内での評価は当然別の話だからここでは考慮しない)。多くの人は中国とダイバーシティという2つの言葉の間に関連性を見出せないだけでなく、中国をそのような概念が排斥される場所として捉えているかも知れない。

「カナダ=ダイバーシティ」の現実は?

それではカナダの実態はどうだろう?ダイバーシティが強調されがちなこの国で、その言葉が意味するものは一体何なのだろう?

私は、カナダに生活して5年間、自他共に認めるダイバーシティの進んだ場所というこの国のイメージが、単に人々の思い込みであるような印象を覚えて来た。無論、他文化をあからさまに排斥しようとする空気が社会全体に満ちている訳ではないし、近頃お隣りアメリカで頻発しているような肉体的暴力を伴ったヘイトクライムも確かにそこまで多くはない。だからと言って心底に隠された差別意識が無いとはとても言い難いようにも思う。

何故そのように感じるのか?答えは簡単だ。どれだけ立派な経歴があろうとも、特徴的な名前を持つだけで面接に呼ばれない人が居る。今回のコロナの流行を見ても、アジア系だからという理由で見も知らぬ他人から罵られた人も居る。「移民イコール社会の金食い虫」のような言論はネット上でいくらでも目にする。それを意外に思う人も居るかも知れないけれど、カナダでこういった事は決して少なくない。それは事実だ。

それにも拘らず、依然としてカナダとダイバーシティという2つの言葉が結びつけられがちな理由はどこにあるのだろうと不思議にならないなんて、私に言わせればそれこそ不思議で仕方が無い。

ダイバーシティはただの思い込み?

人を見た目で判断してはいけない。誰もが聞いた事のある言葉だろう。そして社会もまさに人の集まりから成り立っている。つまり、いくらそこに人種と言語が異なる人が生活しているからと言って、その見た目の多様性からだけでは、必ずしも本質的に多様性を包括した社会が形成されているとは判断できないはず。少なくともカナダ社会のメインストリームからは外れた私に言わせれば、人々がダイバーシティという言葉を連発する程には実質が伴っているようには感じられないし、それ故に耳にする度に違和感を覚えずにいられない。

だからこう思う時がある。

「カナダ人って思い込みが激しいんじゃないか?」

実は他にもそんな風に思い当たる節がある。カナダ人が自分達を「とてもフレンドリー」なだけでなく、「礼儀正しくて、sorry という言葉を使い過ぎる」などと好んで評する点だ。冗談にしてはちっとも笑えないし、本気なら本気で、彼等が一体誰と比べてそのように言っているのか、私には正直よく分からない。

 

 

多様性を大切にするとはどういう事なのかと考えた

「皆同じ人なのだから」だとか、「同じカナダの地に生きているのだから」というような共通点ばかりを根拠にして「一緒にやっていける」と言うのは簡単かも知れない。何もかも解決したような気になるかも知れない。でも現実は本当にそんなにおめでたいものなのか。冷静に考えてみれば、それでは違いを初めから無視しているのに他ならない。

無理して1つの基準で皆をまとめようとすればするほど、却って強者的基準が物を言うようになり、違いを「無視してあげている人」と「無視してもらっている人」とに分け隔て、強者と弱者の違いを際立たせる結果へと導く。そもそも違いそのものには強いも弱いも無いはずなのに、そうやって社会的にランクづけされてしまうせいで、他の人より苦労を重ねずには前に進めない人が居るだけだ。

多様性を受け入れるというのは大雑把に皆を同一視する事ではない。もちろん特別扱いをしなければいけないと言っているのでもない。ただ違うものはどう捉えようにも違う。違いを違うままに受け止め、「へぇ、そうなんだ?」、「知らなかったよ」から始めればいい。

私自身は元々この国に生まれて育ったのではないし、受け入れてもらえた事に対して感謝するのが先で、これも欲しい、あれも欲しいと言える立場にない。まず初めにするべきなのはこの社会をよく観察し、理解をできる限り深める事だ。一応それだけの自覚はある。当然行動に矛盾が生じる事は多々あるとは思うけれど。

それでもただ我慢していればいいとも考えていない。声にするべき場面でははっきりと声にするのも、この社会を構成する1人として多様性を大切にする雰囲気を醸成する為に必要な態度で、だからこそ更に理解を深めなければいけないし、語学力にしてももっと高めて行かなければいけない。道はまだまだ長い。

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