「ひとりごと」

オススメのダシガラ

カナダ移住7周年 相変わらずの平凡な生活が心地いい

つい先日のこと。普段はとても静かなこのブログに突然多くのアクセスが集中したものだから何事かと思って調べてみたところ、どうやら私と同じように最近カナダの市民権を取得されたというバンクーバー在住の方がツイッター上でシェアした為だったらしい。

私もツイッターのアカウントを持ってはいるものの、どうにも使い勝手がよく分からずに全くの塩漬け状態のままに放っているのだが、その方の場合は何千ものフォロワーが居るらしく、そこでシェアされた以上アクセス数が伸びたのも不思議ではなかった。そして影響力のある人は知らないところにも結構居るものだと感心させられた。

暫くその方のツイートした内容を見ていると他の人のアカウントも同時に目に留まった。似たような背景を持つ、例えば同じくカナダに在住しているとか、知り合い同士ではなくても仕事上近しい関係にあるとか、そういった方々のアカウントが表示されていたのでちょっと覗いてみたのだが、そちらはすぐに読み疲れて画面を閉じてしまった。

何故かって、いかにも意識高い系といった感じの人が意気揚々と主張を繰り広げているのを読むのは、私自身が完全に「意識低い系」で平々凡々と日々暮らしているせいなのか、例えそれがどれだけ正しい主張で、学ぶべき内容があったとしても、ちょっとパワフル過ぎて読んでいてどうしても疲れてしまうのだ。

調べてみたところ、どうやら意識高い系という言葉には時にネガティブな意味合いが含まれるそうなのだが(ウィキペディアによると)、私が指して言うのは、前向きであるが故に経験と知識を積み上げることに成功し、その上で自己アピールをするのを忘れない人のことで、最近どこかで誰かが「オーストラリアと比べてカナダには意識高い系の日本人が多い」と書いているのを見かけた時にも妙に納得させられた。

オーストラリアでの生活経験が無い私には、その言葉がどこまで事実を反映しているのかは分からないし、オーストラリアに暮らす日本人の人達の実態も知らない。いずれにしてもそんなのは人それぞれを言われればそれまで。ただ、確かにカナダの環境ではガツガツしないととてもやって行けないと感じる人は少なくないかも知れない、とは思う。

何しろスキルドワーカーとして国や州に認められて移住して来たところで、実際に就職活動を始めてみると、カナダ国内での経験ばかりを重視する企業には興味も関心もさっぱり持ってもらえない。

そんな中で生き抜くには並大抵の努力で足りるはずも無く、特に目標を明確に立てた上でまっしぐらに進んでいる人ほどきっとその大変さも理解している。努力を重ねて来た人であればこその意識の高さは、彼等の書く文章にも当たり前のように滲み出て来るものなのだろう。

ただ一つ確かなのは、誰もが同じことを同じ力加減でやっている訳ではないのだということ。初めからカナダで何かを成し遂げるという強い目的意識を持ってやって来ている人が居れば、家庭の事情によりこの地に越して来た人だって居る。ネット上でこそ前者に属する人達の所謂サクセスストーリーばかりが目立っていても、現実にはごく平凡な日常を過ごし続けている人の方が多い。それは日本でもカナダでも同じだ。

実際のところ私自身がカナダにやって来たのだってただの成り行きに過ぎない。初めてアジア圏以外の国で生活するとあって、期待だけは人に負けず劣らずの膨らましようだったが、だからと言ってここで何かを成し遂げようだとか、成り上がってやろうなどという思いは特に無く、あくまでそれまでに積み重ねた生活の延長線上にもう一つ別の国があったというだけのことだった。

そんなだから、私が送っているのは自他共に認めるような「キラキラしていないカナダライフ」で、犬と公園を散歩し、買い出しと料理と食事を楽しみ、書き物をして過ごす日々。羨むことも、ひがむことも無く、逆に羨ましがられるような要素も無い。それでも心も体も至って健康に過ごせている。そんなことをする為にカナダに来たの?と言う人も居るかも知れないが、私はどの国に暮らしていても同じように過ごすだろう。

まだカナダに越して来たばかりの時を改めて思い返してみれば、その後どのように日々暮らして行くのか、どれだけの間暮らして行けるのか、そんな想像すらできないほど毎日新たな環境に慣れることだけでいっぱいだった。それがいつの間にかここに居るのが当たり前になり、自分なりのライフスタイルを確立できるようになったのは、カナダやカナダでの生活を特別視しないことから始まった。

慣れる=全てを受け入れるではない。カナダの常識=私の常識でもない。自分がそんな風に考えるのを許せるようになり、よりリラックスした精神状態を保てるようになった上で、カナダで生活しているからやるべきことをやるだけでなく、自分がやりたいことをおろそかにしなかったからこそ、そろそろウィンザーも春を迎えようかという今日この頃、私も無事にカナダ在住8年目を迎えることが叶っているのではないかと思う。

日頃吐きたくなる愚痴はまるで減らないが、私の人生にカナダという国との縁があってよかった。また将来何らかの縁やら事情やらで他の国で一時的に生活するような機会があったとしても、やっぱり最後にはカナダに戻って来るような気はするし、だからこそ家を建てたり、市民権まで取得したのだろうと思うと、なんだ、実は結構この国に対する思い入れがあるんじゃないかと気がついて悪い気はしない。