コロナ禍でのカナダ人の行動に垣間見たのは「個人主義」なのか?

「海外では人の目を気にせずにいられる」

「自分らしくいる事が当たり前だから気持ちよく過ごせる」

「ここでは個人を大切にしてもらえる」

それはつまり個人主義がより肌に合っている、という事?

個人主義って一体どういう事?

Wikipediaに拠れば個人主義とは、

「国家や社会の権威を否定して個人の権利と自由を尊重する立場。あるいは共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想」

という事らしい。ただネット上で他にも検索をかければ、異なる個人主義の定義が幾らでも溢れていて、なるほど一理あると感じられるものから、違和感を強く覚えるものまであり、実際のところはっきりとこれだと定義するのは難しいのだろうと思う。

それでも混同してはならないのは個人主義と利己主義の概念で、個人の権利を主張するのと、単にわがままを通そうとするのとはまるで違う。個人主義は、個人という単位が持つ権利や自由を尊重する、つまり全ての個人に当てはまって然るべき概念で、自分の権利は尊重されて当然でも、他人の権利は二の次というのではない。

それを踏まえた上で改めて考える。じゃあカナダの現実って?

コロナ禍のカナダで見えたのは個人主義?

人類がコロナとの戦いに入って早1年。自分もその戦いの中に組み込まれていると感じるのか、それともまだまだ関係無いと思える程幸運(あるいは能天気?)なのか、住む国や周辺の環境に拠る部分も大きいのだろうけれど、私はカナダでいつ自分が感染してもおかしくないと感じながら生活している。

コロナの感染力が強いから、というのはそう感じる理由の1つであるものの、何もそれだけが原因で不安を覚えている訳ではない。

私に言わせれば、ここには危なっかしい人々が多過ぎる。多くの人の命に関わる今回のようなパンデミックでもそこまで「自由」になれるの?と心の底から不思議になる言動があまりにも目に付くし、「自分の行動は自分で責任を取る」という個人主義の大前提自体が守られていない事が多いと思う。

文化背景からして日本とカナダでは違うから、カナダ的な個人主義の形に慣れ親しみの無い日本人はそれと利己主義の違いをあやふやにしがちで、かく言う私だって今もなお悩み続けている。

それでも、コロナ禍の中目立っているのは、個人主義的思想を隠れ蓑にして人権やら自由やらを叫びながら、中身は利己主義の塊みたいな人がとっている行動である事ぐらいは分かる。この国でコロナ禍が始まった頃から、1年が過ぎようとしている今日まで、残念ながらその状況は全く変わっていない。

コロナ禍のカナダで見えたのは利己主義だった

どのような言動に利己主義的な態度が見えるのか、身近な所で聞いた話と、最近ニュースになっていた事を具体例として挙げてみる。

ー かつての身分を忘れた「元市長」

私の友人の会社での事。会社の社長ではないものの大御所的存在で、既に八十路に突入して久しいその人は、既に州政府がリモートワークを義務付けている(一部例外あり)にも拘らず、どういう訳か毎日会社に行って自分のオフィスで仕事をしないと気が済まない。それだけでなく、対面でないとできない特別な会議と言って、普段とまるで変わらない内容の会議の為に社員を会社に呼び出す。私の友人も呼ばれた。

そしてこのお方、何を思って周りに知らせたのかは不明だが、アメリカはアリゾナ州までコロナのワクチンを打つ為に出かけて行くと、社内全体に向けてメールを送信したらしい。

もしかすると本人はカナダとアメリカの二重国籍者で、アメリカでワクチンの接種を受ける条件を満たしているのかも知れない。ただ、今のこの状況下では、こちらの州政府も、そして連邦政府も当然ながら、とにかく不要不急の旅行を避けるようにと口を酸っぱくして言っている。それに元々高齢者だ、わざわざアリゾナくんだりまで出かけずとも、カナダでも既に始まっているワクチン接種にも近いうちに呼ばれるはず。それなのに?と不思議に思った社員はきっと少なくない。

驚く事なかれ、実はこの人、「元市長」の肩書付き。それもカナダには片手で数えられる程しか無い百万都市の元市長。もし私が社員ならメディアにリークする事だって考えただろう。

ー 自由の意味を取り違えた「スノーバード」

カナダの冬は寒い。そんな冬から逃れて暖かい場所で過ごそうと、お隣りアメリカのフロリダや、更に南のメキシコやカリビアン諸国に赴く人達を「スノーバード」と呼ぶ。まあコロナ禍に入る前であったなら、そんな単語も美しい自由の象徴であるかのように聞こえ、周りからの羨望を集めたのかも知れない。でも今年ばかりはそういう訳にいかない。今この時に自由に空を飛べるのはホンモノの鳥達だけだ。

そのような状況でも、政府の言う事には耳を傾けず、「自分の行動は自分で決める」と南へと飛ぶ人達が続出したであろう事は、日頃から自分勝手な行いをとる人々を頻繁に目にしているから容易に想像できた。そして最近、そんな美しくない「スノーバード」達がニュースに取り上げられた。

彼等がニュースになったのは、国内航空各社がカナダ政府の依頼を受けて、メキシコ、カリビアン路線を4月末まで全便キャンセルするのに同意した事に起因している。帰国する便がキャンセルされた為に、「スノーバード」達は丸焦げになるまでそこから離れられなくなって困っていると言う。

不要不急の旅はするなと政府が再三言っていたのは、決して英語が得意ではない私ですら知っている。それなのに、ご丁寧に名前から、出身地から全部オープンにして、更には青い海をバックにして満面の笑顔の写真まで提供した上で、「突然こんな事を決められては困る」などとメディアに話している馬鹿者達は、人の話がちゃんと聞こえていなかったのか?いやいや、鳥の聴覚は弱くないはずなのだけど。

利己主義が蔓延する社会に失望する人達

私には個人主義が一体どういうものであるのか、実際のところまだはっきりとは見えて来ないのだけど、人々の個人主義に基づく考えや態度は尊重されるべきであると考えているし、個人主義についても前向きに、積極的に学んで行きたいとも思っている。

ところが今回のコロナ禍は、個人主義と利己主義の判別がまだ上手くできない人には、また別の意味でも小さくない「災難」だった。そう、私にとっても。

コロナがカナダでも流行の兆しを見せて間も無い頃、まずはアジア系の人達が人種差別を受けるような事が起こり(別文:もしホンネしか話す事のできない世界だったら カナダ人は一体何を話すだろう?参照)、社会にどこか不穏な空気が漂い始めた最中、今度はマスクの着用や、ソーシャルディスタンスなどに強く反発するような声が広がった。それに対して、少なくとも私は、日本のネット上でごく一部の人が極端な感情をばらまいているのとは違い、もう一部とは呼べない程大きな勢力となって社会全体に影響を与えているように感じていた。

その後もニュースだけでなく、もっとすぐ近くのところで数々の理解不能な言動に触れ続け、「そういう人は信じられないぐらい多いけど、そうではない人はもっと沢山居るのだから」と自分に言い聞かせるようにした。

それから私は慣れっこになってしまったのか、それとも単に感覚が麻痺してしまったのか、あまり深く考え過ぎずに済むようになったものの、一連の出来事によって、カナダ人が言うところの個人主義について理解したいと思っていたのに、人々のあまりに身勝手な振る舞いを見るにつれて心を折られてしまったと言う移民達を何人も知った。中には、今回の事が原因になってこの社会に対する信用を失い、市民権の申請を見送る事にしたと教えてくれた人も居た。それを聞いて私も心が痛まなかった訳が無い。

カナダに来る前にも別の外国で長い生活経験があり、年齢から言っても感受性に衰えが来ている私はただ運が良かっただけなのかも知れない。そんな私ですらかなりのショックを覚えたぐらいなのだし、もっと純粋な心を持った人にとってどれだけ厳しい経験となり、どれだけの葛藤に苛まれたのかは容易に想像がつく。

だからもし今なお悩んでいる人が居たら、「あなただけじゃないよ」と声を掛けたい。コロナ禍さえ過ぎれば、きっともう少しは皆に優しい社会になるはず。それまではどうか体だけでも健康に過ごせますように。

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