「ひとりごと」

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いつかは無くなる実家 故郷が故郷でなくなる日

海外に暮らして27年、今後も日本に帰って生活する考えは無いし、おまけにカナダの市民権まで申請済みで、その審査に通るのもきっとそう先の話ではないだろう。

そうなると余計に早くから考えておかなければいけないのが相続に関する問題。実家は人並みの、つまりどこにでもある中流家庭だから、心配しなければいけない程お金がある訳も無いのだが、山梨の田舎にある一軒家だけは既に私を悩ませている。

この家は元々埼玉に住んでいた両親が、後に父の退職を待って新たに建てて越した先で、それ以来は私自身も帰国する度に帰る場所だ。長く都会で暮らし、働いた人が、老後は静かなところで落ち着いた生活を送りたいと田舎に回帰するのが流行っているが、私の両親もその流れに乗ったようなもので、まだそんな歳ではない私も、生まれ育った埼玉にはもうすっかり愛着のかけらも無く、山梨こそが帰るべき場所だと思い込むほどに気に入っている。

建てて10年とちょっとだから、家としてはまだまだ若い。ところが家の10年と、両親や私にとっての10年とでは訳が違う。父と母は七十代になり、私自身も四十代後半へと差し掛かった。この先、今まで以上に時の流れが速く感じるようになったとしたら、一体私達にはあとどれだけの時間が残っていて、その時間を何に、どのように分けて使うのだろうかなどと考えてしまう。だからこそ尚更のこと、この家の将来が気にかかって仕方無いのだ。

本来両親はこの家を私に継がせるつもりでいた。まだ建てた当時の話だ、私はそれをあたかも他人事であるかのように聞いていた。それから、昔話にでも出て来るかのように、おじいさんとおばあさんは庭を自分達の好きな植物で彩り、家庭菜園では沢山の野菜を作って、丹精込めて終の棲家を育んで来た。しかし彼等の放蕩息子は香港からカナダへと居を移し、この地で市民権を取って、長く住んでいく心づもりをしてしまった。早くから海外に出て勝手を繰り返した挙句、その家すらも継げない道を選んだことに罪悪感を覚えつつも、私には自分の決心を変えることはできない。できることは、両親が悔いを残さないよう、この家の行く先を決めてもらいたいと願うことぐらいだ。

そんなわがままな願いを私も何度か告げては来た。ただ、この家での生活を現在進行形で満喫中の両親にとって、まだそこまで先のことを考える余裕は無いのかも知れない。そこは私がたまに帰る家ではあっても、私の所有物ではない。そして何より、彼等がその場所での日々を存分に楽しんでいる今、ヘタに水を差すような真似はしたくない。だから、せめて「そうだよね、考えないといけないね」と言うのを何年も変わらずに聞けている間は、それ以上のことは言わないでおこうと思う。

私のこの悩みに答えが出る時には、それがいつのことになるかは分からないが、私の実家が無くなるまでももう遠くないのだろうか。カナダで暮らして行くのは自分で決めたことだとは言え、いつかは日本に帰る場所が無くなる時が来るのが今から少し怖い。